1.前回の記事(「優先順位を考える(令和6年司法試験民事系第1問)」)では、実戦的な話をしました。今回は理論的な話。実際のところ、修繕権と必要費償還請求の関係は、どうなっているのか。結論はシンプルで、「関係ない。」が答えです。すなわち、修繕権があるか否かにかかわらず、必要費償還請求の肯否は、608条1項の要件を満たすか否かという、ただそれだけで決まるのでした。
(「民法(債権関係)の改正に関する中間試案の補足説明(平成25年7月4日補訂)」より引用。太字強調は筆者。) 8 賃貸物の修繕等(民法第606条第1項関係) 民法第606条第1項の規律を次のように改めるものとする。 (1) 賃貸人は,賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務を負うものとする。 (2)
賃借物が修繕を要する場合において,賃借人がその旨を賃貸人に通知し,又は賃貸人がその旨を知ったにもかかわらず,賃貸人が相当の期間内に必要な修繕をしないときは,賃借人は,自ら賃借物の使用及び収益に必要な修繕をすることができるものとする。ただし,急迫の事情があるときは,賃借人は,直ちに賃借物の使用及び収益に必要な修繕をすることができるものとする。 (概要) (引用終わり) |
2.じゃあ、修繕権なんて何の意味もないかというと、そうではなく、修繕権がないまま勝手に修繕をすることは、賃借人の債務不履行を構成します。なので、修繕権のないまま修繕して賃借物を損傷したような場合には、賃借人は債務不履行に基づく損害賠償債務を負うし、場合によっては解除事由にもなるでしょう。ただ、冷静に考えてみると、修繕権の要件を充足すれば修繕の作業において賃借物をぶっ壊していいかというと、そんなわけはない。「修繕」不該当というか用法遵守義務違反というかはともかく、修繕中に賃借物を損傷すれば、やっぱり損害賠償の問題にはなりそう(※)。そう考えると、結局は解除事由になるってことくらいかもしれないね。かかった費用が過大かどうかも608条1項の要件の中で判断することだから、修繕権の話じゃないよね。というようなことは、債権法改正の議論をきちんと追っていた人からすれば常識に属します。
※ もちろん、きちんと修繕権の要件を充足していたことは、免責事由や過失相殺などの考慮要素となるので、修繕権の要件を満たすことが全然無意味なわけではありません。
(法制審議会民法(債権関係)部会第55回会議議事録より引用。太字強調は筆者。) ◯金洪周(法務省民事局付)関係官 (中略) ○中井康之(弁護士)委員 ○金関係官 ○道垣内弘人(東大教授)幹事 ○金関係官 ○道垣内幹事 ○金関係官 ○沖野眞已(東大教授)幹事 (引用終わり) |
上記引用中の最後の沖野教授発言の懸念のとおり、今年の司法試験では、「修繕権がないから必要費償還請求権は発生しない。」と書いてしまった受験生が多かったことでしょう。最近の論文式試験では、こんな感じのところばかりが狙われているな、という印象です。この点は、学者でも誤解している人がいるようなので、受験生が間違えても無理もない。とはいえ、前回の記事(「優先順位を考える(令和6年司法試験民事系第1問)」)で説明したとおり、勘をはたらかせれば、正しい結論だけは書けたところでした。
3.以上のことを踏まえて当サイト作成の参考答案(その2)をみると、その意味がよく理解できるでしょう。
(参考答案(その2)より引用。太字強調は筆者。) (2)抗弁
ア.DはAに通知せず、かつ、Aは雨漏りを知らなかった(607条の2第1号)。急迫の事情(同条2号)もなかった。したがって、Dに修繕権はない。Aの反論はこれをいうものである。上記各事実は、「賃貸人の負担に属する」との評価を障害する事実として抗弁を構成するか。
イ.一般には必要費に当たるとされる類型の支出であっても、通常要する額を超える部分は本来賃貸人が負担すべき支出とはいえないから、支出額を下回る通常要する額の主張は、「必要費を支出した」との評価を一部障害する事実として一部抗弁を構成する。Aの反論はこれをいうものである。 (3)よって、請求3は、20万円の限度で認められる。 (引用終わり) |
普通の受験生はこんなの知るわけないので、書けなくて全然問題ありません。むしろ、前回の記事(「優先順位を考える(令和6年司法試験民事系第1問)」)で説明したとおり、修繕権の要件だけはしっかり検討し、その後はさっさと逃げられたかどうか。実戦的には、そっちの方が大事だったろうと思っています。そうやって時間を節約し、書けるところをしっかり書く。ここで試されたのは、そのようなとっさの判断力だったといえるでしょう。
4.なお、修繕権がないことの効果として、過大な修繕費用の償還が否定されるとする見解もあります。学説としては存在するので、これで書いても評価されるでしょう。しかし、それだと修繕権があるときは過大な修繕費用でも償還できることになってしまうので、さすがにおかしいでしょう。急迫の事情がある場合には、平時より高額になっても償還できるという余地はあるでしょうが、それも当該状況の下で必要な費用であったかという判断に尽きるのであって、修繕権は関係ありません。修繕権があろうがなかろうが、過大な修繕費用の償還は否定されるのです。「修繕権がないときは過大な修繕費用の償還が否定される。」という見解は、「過大な修繕費用の償還が否定される。」という結論が妥当なので成立しそうにみえますが、その逆である「修繕権があるときは過大な修繕費用の償還が肯定される。」が真でない限り、「修繕権がないときは」という前提条件を付ける意味がないので、見解としては成立しないと思います。