1.今回は、論文の合格点を考えます。司法試験の合否は、短答と論文の総合評価で決まりますから、論文単独の合格点は存在しません。もっとも、短答の影響を排除した論文の合格点の目安を考えることは可能です。
今年の合格者数は、1592人でした。これは、論文で1592位以内に入れば、短答で逆転されない限り、合格できることを意味しています。そこで、論文で1592位以内になるには、何点が必要か。法務省の公表した司法試験論文式試験得点別人員調(合計得点)によれば、論文の合計得点が374点だと1581位、373点だと1594位となっています。したがって、1592位以内の順位になるためには、374点が必要だったといえる。ここでは、このように定まる得点を便宜上、「論文の合格点」と表記します。
2.直近5年間の司法試験における論文の全科目平均点、論文の合格点、全科目平均点と合格点の差をまとめたのが、以下の表です。なお、全科目平均点は、最低ライン未満者を含み、小数点以下を切り捨てています。
年 (令和) |
全科目 平均点 |
論文の 合格点 |
平均点と 合格点の差 |
2 | 382 | 381 | -1 |
3 | 367 | 361 | -6 |
4 | 371 | 361 | -10 |
5 | 379 | 370 | -9 |
6 | 375 | 374 | -1 |
今年は、昨年と比較すると、平均点は4点下がっているのに、合格点は逆に4点上がっている。その結果、平均点と合格点の差が、わずか1点となっています。概ね平均点が合格ラインだった、といってよいでしょう。「みんなが普通に書くようなことを書いてさえいれば合格できる。」という格言は、かつての旧司法試験時代には、「しかし、普通の答案を全科目揃えるのは実はとても難しい(だから合格率はとても低い。)。」という含意がありましたが、現在は、これを額面どおり捉えてよい状況になったといえます。
さて、平均点と合格点との間には、どのような関係があるか。現在のところ、合格点の決定は、求められる一定の学力を基準に設定されるのではなく、短答・論文でバランスのよい合格率となるように決められているとみえます(ただし、今年はイレギュラーがあったとみえることにつき、「令和6年司法試験の結果について(1)」参照)。ですから、平均点が上昇すれば、合格点も上昇するのが自然です。ところが、今年は、平均点は下がっているのに、合格点は、むしろ上がっている。どうして、そんなことになったのでしょうか。
3.論文の合格点を上下させる要因は、平均点の他に2つあります。1つは、論文の合格率です。論文の合格率が上昇すれば合格点は下がりやすく、合格率が下落すれば合格点は上がりやすくなる。これは、以下のような単純な例を考えれば、すぐ理解できるでしょう。
受験生 | 得点 |
A | 100 |
B | 90 |
C | 80 |
D | 70 |
E | 60 |
F | 50 |
G | 40 |
H | 30 |
I | 20 |
J | 10 |
受験生AからJまでの10人が受験して、上位2人が合格(合格率20%)であれば、合格者はABで、合格点は90点になります。それが、上位4人合格(合格率40%)になると、合格者はABCDで、合格点は70点に下がる。単純なことです。
実際の数字をみてみましょう。以下は、直近5年の短答合格者ベースの論文合格率の推移です。
年 (令和) |
論文 合格率 |
2 | 51.9% |
3 | 53.1% |
4 | 56.2% |
5 | 56.5% |
6 | 53.8% |
今年は、昨年よりも、3ポイント程度合格率が下落しています。このことが、合格点を押し上げる要因となったといえるでしょう。もう少し、緻密に考えてみましょう。この合格率の下落は、具体的に何点くらい合格点を引き上げたのか。仮に、今年も昨年同様、合格率が56.5%だったとしましょう。そうすると、以下のとおり、合格者数は1671人になるはずでした。
2958人(短答合格者数)×0.565≒1671人
法務省の公表した司法試験論文式試験得点別人員調(合計得点)から、今年の1671位に相当する得点を見ると、367点であることが分かります。実際の論文の合格点は、これより7点高い374点でしたから、今年の合格率の下落は、論文の合格点を概ね7点押し上げる効果があったといえる。それが、平均点4点下落の影響と相殺されて、合格点を3点程度押し上げる結果となったのでした。今年の合格点4点上昇のうちの3点程度の上昇までは、この合格率の下落によって説明できる。したがって、今年の合格点上昇のほとんどは、合格率の下落によるものだ、ということができるでしょう。
4(1)論文の合格点を上下させるもう1つの要因は、論文の合計得点のバラ付きです。単純な例で考えてみましょう。
表1 | |
受験生 | 得点 |
A | 100 |
B | 90 |
C | 80 |
D | 70 |
E | 60 |
F | 50 |
G | 40 |
H | 30 |
I | 20 |
J | 10 |
平均点 | 55 |
表2 | |
受験生 | 得点 |
A | 64 |
B | 62 |
C | 60 |
D | 58 |
E | 56 |
F | 54 |
G | 52 |
H | 50 |
I | 48 |
J | 46 |
平均点 | 55 |
受験生AからJまでの10人が受験して、上位3人が合格する(合格率30%)とすると、表1では合格点は80点ですが、表2では60点まで下がります。平均点や合格率が同じでも、バラ付きが縮小すると、通常は合格点が下がるのです。令和元年までは、この説明だけで十分でした。しかし、これは合格点が平均点より高い場合に当てはまることです。合格点が平均点未満の数字になる場合には、バラ付きが縮小すると合格点は上昇する。このことも、上記の表1と表2を対照することで確認できます。上記の表において、合格者数が7人だとしましょう。そうすると、表1・表2のいずれについても、AからGまでが合格できます。そして、合格点はというと、表1では40点、表2では52点。バラ付きの小さい表2の方が、合格点が高いことが確認できました。
もう1つ、合格率が5割に近いとどうなるか、という点も、確認しておきましょう。上記の表で、合格者が5人だと、表1・表2のいずれについても、AからEまでが合格でき、合格率はちょうど5割になります。そして、合格点はというと、表1では60点、表2では56点。表1と表2の合格点が、非常に接近していることが分かります。このように、合格率が5割に近い(より厳密には、合格点が平均点に近い)と、得点のバラ付きの影響は、非常に小さくなるのです。
上記のような説明に対しては、「論文式試験では得点調整(採点格差調整)がされるので、バラ付きは常に一定になるんじゃないの?」と疑問に思う人もいるかもしれません。そのように思った人は、得点調整が各科目単位で行われることに注意する必要があります。得点調整によって、各科目のバラ付きは一定(※1)になりますが、それを合計する段階では、何らの調整もされないのです。
※1 法務省の資料から逆算する方法によって、これは各科目につき標準偏差10であることが分かっています。
単純な例で確認してみましょう。憲民刑の3科目について、3人の受験生ABCが受験するとします。
表3 | 憲法 | 民法 | 刑法 | 合計点 |
受験生A | 90 | 10 | 50 | 150 |
受験生B | 50 | 90 | 10 | 150 |
受験生C | 10 | 50 | 90 | 150 |
表3では、各科目ではABCに得点差が付いていますが、合計得点は全員一緒です。ある科目で高得点を取っても、他の科目で点を落としたり、平凡な点数にとどまったりしているからです。
表4 | 憲法 | 民法 | 刑法 | 合計点 |
受験生A | 90 | 90 | 90 | 270 |
受験生B | 50 | 50 | 50 | 150 |
受験生C | 10 | 10 | 10 | 30 |
表4も、各科目の得点のバラ付きの程度は、表3の場合と同じです。しかし、合計得点に大きな差が付いている。これは、ある科目で高得点を取る人は、他の科目も高得点を取り、ある科目で低い得点を取る人は、他の科目も低い得点を取るという、強い相関性があるからです。このように、各科目の得点のバラ付きが一定であっても、合計得点のバラ付きは変動し得るのです。そして、そのバラ付きの大小は、「ある科目で高得点を取る人は、他の科目も高得点を取り、ある科目で低い得点を取る人は、他の科目も低い得点を取る。」という相関性の強弱を示すものでもあるといえます。
(2)実際の数字を見てみましょう。以下は、法務省の公表する資料から算出した平成26年以降の論文式試験の合計得点の標準偏差の推移です。標準偏差の数字は、大きければバラ付きが大きく、小さければバラ付きが小さいことを示します。
年 | 論文式試験 合計得点 標準偏差 |
平成26 | 71.5 |
平成27 | 78.1 |
平成28 | 80.4 |
平成29 | 81.0 |
平成30 | 76.3 |
令和元 | 81.1 |
令和2 | 83.3 |
令和3 | 83.0 |
令和4 | 85.3 |
令和5 | 86.3 |
令和6 | 80.6 |
今年は、昨年より標準偏差が6程度下落しています。直近の数字と比較すると、大きめの下落です。上記で説明したとおり、現在では合格点が平均点未満となっていますから、令和元年までとは逆に、バラ付きが縮小すると、合格点は上昇する。先にみたとおり、今年の合格点4点上昇のうち3点程度までは合格率の下落で説明できましたが、残りの1点程度は、バラ付きの縮小によるものだ、と考えることができるのです。標準偏差の変動が大きいにもかかわらず、1点程度しか影響が生じなかったのは、合格率が5割に近いため、その影響が非常に小さくなることによるのでした。
(3)近時、標準偏差は高めの水準で推移する傾向にあります。昨年は、平成26年以降で最大の標準偏差でした。これは、「ある科目で高得点を取る人は、他の科目も高得点を取り、ある科目で低い得点を取る人は、他の科目も低い得点を取る。」という科目間の相関性が強くなっていることを意味します。このことは、当サイトが繰り返し説明している、基本論点について規範を明示し、事実を摘示して解答するという答案スタイルが確立していれば、どの科目も安定して得点できるという最近の傾向と符合します(※2)。逆にいえば、そのような答案スタイルを確立していない「受かりにくい人」は、どの科目も得点できないので、「受かりにくい人は、何度受けても受かりにくい。」法則が成立するのでした。
※2 なお、当サイトでは、当初から、論文には「受かりにくい者は、何度受けても受かりにくい。」法則がある、と指摘し続けてきました。そして、その正体として、規範明示等を強調するようになったのが、平成26年辺りからで(「平成26年司法試験の結果について(9)」)、規範明示・事実摘示に特化した参考答案を掲載するようになったのが、平成27年からです(「平成27年司法試験論文式公法系第1問参考答案」)。それ以降、急激に標準偏差が上昇していることは、これらの情報に接することで規範明示・事実摘示重視の答案を書く人と、これらの情報に接することなく、従来どおりの答案スタイルを維持する人の差が拡大したことによるとみて矛盾がありません。
(4)合格率がここまで高くなってくると、逆に、「どんな答案を書いたら落ちるんだよ。」と思うところですが、その典型的なイメージは、「規範を明示せずにいきなり当てはめに入る答案」(規範欠落型)、「当てはめで事実を摘示しない答案」(事実欠落型)です。この種の答案は、単純に文字数が少なく、一見して「スカスカ」な感じのものもあれば、それなりの文字数を書いており、自分の理解を自分の言葉で書く部分が非常に多いため、一見するとすごく良い答案に見えるが、よく見ると規範と事実を答案に示していない(本人は当然の前提だと思って省略している。)ので、配点を取りようがない、というものがあります。前者は、論点を幅広く拾う反面で当てはめが薄いというスタイルで受かってしまった予備試験の合格者や、「あらすじ答案」がもてはやされた旧試験時代からの受験生に多く、後者は、「自分の言葉で本質を書きなさい。」等と誤った指導を受けがちな法科大学院修了生に多い傾向があります。それから、問題提起や趣旨からの論証を重視する予備校等で学んだ受験生に多いのが、「問題提起や趣旨からの理由付けを書いていたら時間がなくなって、規範明示・事実摘示を省略せざるを得なくなった。」とみえる答案です。合格率がこれだけ高くなっても、この種の答案を書いていると、なかなか受かりません。心当たりのある人は、意識して修正すべきでしょう。最後の例については、問題提起や趣旨からの理由付けを省略して、端的に規範を明示するスタイルにすれば、あっさり合格することが多く、分かりやすく修正の効果が出る例です。このことは、単純な答案スタイルの問題であって、「地頭の良さ」等は関係がありません。どんなに頭の回転が速い人でも、受かりやすい答案スタイルで書いていないと、普通に不合格になる。これが、論文式試験の怖さです。
(5)上記(3)で説明した最近の傾向との関係でいうと、今年は、例外的にやや低めの数字になりました。これを、どうみるか。上記のとおり、標準偏差が高い数字になることは、「ある科目で高得点を取る人は、他の科目も高得点を取り、ある科目で低い得点を取る人は、他の科目も低い得点を取る。」という科目間の相関性が強くなっていることを意味し、かつ、それは、答案スタイルとの関係に着目すると、「規範明示・事実摘示の答案スタイルで書く人はどの科目でも高得点になる一方で、その答案スタイルで書けない人は、どの科目も低い得点になる。」ことを意味するのでした。これと逆の現象が生じたということは、「一部の科目で、規範明示・事実摘示の答案スタイルだけでは高得点にならない、あるいは、その答案スタイルでなくても高得点が取れる科目があった。」ということを意味します(※3)。これは、今年だけのイレギュラーなのか、今後も続く傾向なのか。1つ、気になるのは、近時の司法試験の検証との関係です(※4)。そこでは、「論文で過度に事務処理能力を求める結果とならないようにしよう。」という方向での見直しを求める指摘が、繰り返しなされてきました(「検証担当考査委員による令和元年司法試験の検証結果について」、「令和4年司法試験の検証結果について」参照)。昨年の令和5年司法試験についても、同様の指摘がなされています。
※3 成績評価との兼ね合いでいうと、今までは上位の人はAばかりだったけど、今年は、B以下を採る割合が増えやすいことを意味します。
※4 検証が求められるようになった経緯については、前回の記事(「令和6年司法試験の結果について(2)~全科目平均点の意味~」を参照。
(司法試験委員会会議(第184回)議事要旨より引用。太字強調は筆者。) (1) 令和5年司法試験の検証結果について(報告・協議) ○ 平成30年8月3日付け司法試験委員会決定「司法試験の方式・内容等の在り方について」に基づき選任された検証担当考査委員による令和5年司法試験の検証の方法・過程及び結果について、検証担当考査委員から報告がなされ、これを踏まえて協議を行った。 (中略) ○ 検証の結果 ・ 短答式試験については、問題文の字数・ページ数等の分量や設問ごとの正答率等の難易度において近年の短答式試験とほぼ同水準であり、合計点の平均点についても同様に高い水準を維持し、外部からも総じて高い評価を得るなど、いずれの科目についても基本的知識を問う出題傾向で安定しており、引き続き、このような出題方針を継続することが望ましいとされた。 ・ 論文式試験については、過去の試験の検証を踏まえ、問題作成に当たり一層の工夫がなされ、全体として高評価を得たところであるが、一部の科目分野については、なお出題論点等の分量や難易度等についてより一層の工夫が必要であるとの意見が出されるなどしたところであり、引き続き、受験者に対して過度に事務処理能力を求める結果とならないよう、問題文、資料、設問の分量について十分に配慮しつつ、受験者の事例解析能力、論理的思考力、法解釈・法適用能力等を適切に判定することができるよう工夫することとされた。 ・ 出題の趣旨及び採点実感については、引き続き、出題の趣旨・採点実感の公表を通じて、受験者の学習の指針となるような有効かつ必要十分な情報発信に努めることとされた。 ・ そのほか試験の在り方全般について意見交換を行った上、今回の検証結果を今後の司法試験に適切に反映させるとともに、今後とも司法試験が適正に実施されるよう、検証方法にも工夫を加えながら検証を継続していくことが有用であるとの認識で一致した。 (引用終わり) |
このことに着目すると、今年は、一部の科目で、規範明示と事実摘示に極端な配点を置く、という従来の傾向とは異なる採点手法が採られたのではないか、とみる余地が生じます。これが上記検証の指摘を受けたもので、今後もその方向性で作問・採点がされると考えるのであれば、今後、標準偏差が低めの傾向に変化することもあり得る、という予測に繋がります。仮にそうであれば、「規範明示と事実摘示」という方法論が、次第に通用しなくなっていくかもしれない。とはいえ、今年の80という数字も結構高い数字なので、現時点では、まだそこまではいえないかな、というのが、当サイトの印象です。今後、標準偏差が80を割るような展開が常態化すれば、この見方も有力となってくるでしょう。その場合には、「規範明示と事実摘示」に代わる方法論を示唆する数字が結果として表れてくる。それをいち早くキャッチして説明するのが、当サイトの役割です。